月曜日の朝、出勤してすぐに不穏な空気を感じたことはありませんか。
「すみません、山田さんが体調不良でお休みです」——その一言で、現場がざわつく。「あの機械の段取り、山田さんしか知らないよね」「先週のあの案件、山田さんが途中まで進めてくれてたはずだけど、データどこだっけ……」。
みんなが顔を見合わせて、あちこちに電話をかけて、結局その日は予定していた作業の半分も進まなかった。こんな経験、心当たりがある方も多いのではないでしょうか。
ベテランの「あの人」がいないだけで、まるで歯車がひとつ抜けたように現場が止まってしまう。今回は、この”属人化”(特定の人に仕事が偏ってしまうこと)というちょっとやっかいな問題について、一緒に考えてみたいと思います。
なぜ「あの人」に頼り切ってしまうのか
そもそも、どうして特定の人に仕事が集中してしまうのでしょうか。これ、実は誰かが悪いわけじゃないんですよね。
たとえば、山田さんは20年選手のベテラン。機械の微妙なクセも、お客さんごとの細かい要望も、ぜんぶ頭の中に入っています。新しい仕事が来ると、「山田さんに聞けば早い」となるのは自然な流れです。
周りの人も「山田さんがやった方が確実だし速い」と思うし、山田さん自身も頼られると悪い気はしない。こうして少しずつ、少しずつ、山田さんの頭の中にだけ情報が積み上がっていきます。
忙しい現場ではなおさらです。「今は目の前の仕事を片づけるのが先」「落ち着いたらやり方をまとめよう」と思いながら、その”落ち着いた日”は永遠にやって来ません。
気づけば5年、10年と時間が過ぎて、山田さんの頭の中はもう、ひとつの図書館みたいになっている。本人でさえ「自分が何を知っているか」を全部は説明できないくらいに。こうして「あの人がいないと回らない」状態は、意図せず、じわじわと出来上がっていくのです。
属人化が引き起こす”見えにくい”コスト
「山田さんがいれば問題ないじゃないか」——たしかに、日常がうまく回っているうちはそう思えます。でも、ちょっと立ち止まって考えてみると、意外なところにコストが隠れています。
まず、山田さん本人の負担。休みたくても「自分が休んだら迷惑がかかる」と思って無理をする。有給はあるのに使えない。なんだか申し訳ない気持ちで休日を過ごすのは、けっこうしんどいものです。長い目で見ると、体調を崩してしまったり、最悪の場合は「もう限界です」と辞めてしまうこともあり得ます。
それから、周りの人の成長機会が奪われていることにも目を向けたいところです。若手が「やってみたい」と思っても、「山田さんの方が早いから」と任せてもらえない。結果として、何年経っても山田さんの後を継げる人が育たない。山田さんが定年を迎える日は確実にやってくるのに、です。
そしてもうひとつ。お客さまへの影響も見逃せません。急ぎの依頼があっても「担当が不在で対応できません」となれば、信頼に関わります。「前に頼んだとき、すぐ対応してくれたのにな」とお客さまが感じた瞬間、目に見えないところで評判が下がっていく。小さなほころびが、気づかないうちに大きな問題に育ってしまうこともあるのです。
「完璧なマニュアル」より「ゆるい共有」から始めてみる
さて、ここまで読んで「うちもそうだな……」と思った方。でも、「じゃあマニュアルを作ろう!」と意気込んで、分厚い手順書を作った経験はないでしょうか。そして、その手順書が棚の奥でホコリをかぶっている……なんてことも。
いきなり完璧を目指すと、たいてい続きません。おすすめしたいのは、もっとゆるい方法です。
たとえば、ベテランの横に若手がついて、作業を見ながら気づいたことをメモする。最初はノート1ページ分でいいんです。「この機械は最初にここを確認する」「この作業は午前中にやった方がうまくいく」——そんなちょっとしたコツが書き留められるだけで、ずいぶん違います。
あるいは、週に一度でいいから「今週やった仕事で、ちょっと工夫したこと」を3分だけ共有する時間を作る。大げさな会議じゃなくて、朝礼のついでとか、お昼休み前のちょっとした時間でかまいません。「へえ、そうやってたんだ」という小さな発見が、チーム全体の力を少しずつ底上げしてくれます。
大事なのは、「山田さんの仕事を奪う」のではなく、「山田さんの知恵をみんなの財産にする」という考え方です。この伝え方ひとつで、ベテランの反応はだいぶ変わります。「あなたの経験を教えてほしい」と言われて、嫌な気持ちになる人はそういません。むしろ山田さんにとっても、自分しかできない仕事から少しずつ解放されて、もっと面白い仕事や新しいことに時間を使えるようになるかもしれません。
「仕組み」にすると、人がラクになる
もう一歩踏み込めるなら、「人に聞かなくても、見ればわかる」状態を少しずつ作っていくのも効果的です。
たとえば、道具や材料の置き場所にラベルを貼る。作業の順番を壁に貼り出す。チェックリストを作って「これを見ながらやれば、だいたいできる」という状態にする。デジタルなツールを使うのもいいですが、まずは紙でもホワイトボードでも十分です。ポイントは、誰かの頭の中にしかなかった情報を、”目に見える形”にすること。
こうした仕組みは、新しい人が入ってきたときにも威力を発揮します。「先輩の背中を見て覚えろ」という時代もありましたが、今は人手不足の時代。来てくれた人に早く戦力になってもらうには、見て学べる環境を整えておくことが、実は一番の近道だったりします。
それに、仕組みを整えていくプロセスそのものが、チームのコミュニケーションを良くしてくれます。「この作業、なんでこの順番なんですか?」「あ、実はこういう理由があってね」——そんなやりとりの中から、もっと良いやり方が見つかることもあります。誰かの暗黙知が言葉になった瞬間って、ちょっとワクワクしませんか。
「あの人がいないと回らない」という状態は、裏を返せば「あの人がそれだけ頑張ってくれている」ということでもあります。だからこそ、その人の頑張りをチーム全体で支えられる形に変えていくことが大切なのだと思います。
いきなり全部を変える必要はありません。まずは、ベテランの横について作業を見せてもらう。ちょっとしたコツをメモに書き留める。週に一度、工夫を共有する時間を作る。そんな小さな一歩から始めてみてはいかがでしょうか。
完璧な仕組みじゃなくていいんです。「昨日よりちょっとだけ、みんなで回せるようになった」——その積み重ねが、いつか現場を大きく変えてくれるはずです。今日も現場で奮闘しているすべての「山田さん」と、その周りのみなさんに、この記事が少しでもヒントになれば嬉しいです。
Gibbons 